前回の記事では、量産建売住宅にはどうしても納得できなかったことを書きました。
特に、謎のランボルギーニ換算の導入によって、自分の「買い物観」の本質が見えた気がします(笑)
今回は、狭小住宅というジャンルの住宅を知ったことについて書きます。
狭小住宅を見学させてもらった
家探しに行き詰まり感が見えていた時、妻の友人のお宅に誘われました。思い返せばこれが、私の家探しが注文住宅に向けて舵切りされはじめる一番のきっかけです。
私の妻は建築業界で仕事をしており(住宅ではないです)、学生時代からの友人さんにも建築業界に身を置いている方がいます。その方は現在、住宅メインの設計事務所で働かれており、自宅兼事務所がいわゆる狭小住宅なのです。
この狭小住宅という言葉の定義は曖昧なのですが、ここでは
世間一般的に「狭い」と思われる敷地面積もしくは建築面積であって、その狭さを有効活用するような各種方策が施されている住宅
…という感じでしょうか。
そのお宅はインナーガレージ付きの3階建て住宅なのですが、玄関を入ってから隅から隅まで、関心の連続でした。
なんということでしょう(BGM付き)
- 1階の玄関ホールは絶対的な明るさがあるわけではない。しかし、2階リビングの大きな南窓から取り入れた日光が、スケルトン階段を通して1階まで注いでくるため、上階への期待感というか明るい予感を感じさせる。来客用ハンガー掛けはスケルトン階段の踏み面。
- 2階に上がると細長いリビングが広がる。フローティングのテレビ台が部屋の端から端まで綺麗に揃えて造り付けられており、おかげで間口の狭さを感じない。南に面する大きなFIX窓は、露出させた筋交い(「X」型の柱です)が架かっていてプライバシー確保に寄与しており、大開口の窓による強度の低下を補完するという機能性とも一体化していることが直感的に理解できる。
- 2階から3階への階段にアクセスするための廊下はキッチンと兼用されている。
- 3階には居室があるが、リビングの一部が吹き抜かれて3階のホールと空間的につながっており、3階から2階のリビングを見渡せる。
- 屋上へのアクセスの途中には、採光の良さを活用した室内物干しスペースがあり、大通りに面した住宅に求められる室内干しの利便性が重視されている。屋上から入った光が壁に何度も反射して、2階のリビング、そして1階の玄関にまでも注いでいるように思える。本当に注いでるのかは知らない。でも、そんな予感がした、雰囲気を感じたという印象は、時として事実よりも重要だと思う。
…ああ、こういう世界があるのか、と思いました。
建築に縁のなかった私は、こういう技巧をこらした住宅というか、建築家的なコンテキストが随所に散りばめられたような住宅はビフォーアフターくらいでしか見たことがありませんでしたからね(笑)
興味津々
家に帰って早速、狭小住宅について色々と調べ始めることになります。
狭小で生活するために仕込まれた全ての要素が、あらゆる人にとってベストというわけではないだろう。
でも逆に、一般に2LDK、3LDKと雛形通りに表現される間取りだって、実際は誰にとってのベストなんだ?
「ウチの家族だと3LDKがいいな」と住む前から言うけど、本質はその家族が3LDKの間取りにあわせて生活をしたというだけの話なのでは?
…みたいなよくわからないことを思い始めました。
今までの自分にとって存在しなかった世界なので、語彙も価値観も足りない。
ということで、妻の本棚から、住宅を手掛ける建築家の著書を引っ張り出して読み始めました。
人にやさしい狭小住宅
特に、都心のギチギチな敷地に建てられるタイプの狭小住宅ではなく、
“郊外で、ちゃんと庭があって、でも家はコンパクト”
というスタイルの狭小住宅で活躍している建築家も多いことを知りました。
まさにうちのエリア(第一種低層住居地域)にピッタリです。
このタイプの住宅を手がけられている有名な建築家としては、現役の方では伊礼智さんや中村好文さんが挙げられると思います。彼らが手掛けた住宅は、「有名建築家」という字面から想起しがちな、高尚な思想の押し付け感や投げっぱなし感はなく、絶妙な住み手へのやさしさを感じます。
「あっ…こういうの、いけるんじゃない?こういうのを目指すといいんじゃない!?」
と、初めて思いました。
建築家についての詳しいことは、また別の記事で書こうと思います。
注文住宅にむけて始動。納得感が一番大事
狭小住宅は、ただ狭いだけではないので、小さい割に価格は高くなる傾向にあります。しかしそれでも、地価の高いエリアでは、広い土地に建てられた建売と同じくらいの予算で収められるのではないか、と思えてきました。
広さありきで予算に合う家を探すのではなく、予算に合う面積で土地を買って、そこに納得できる家ができれば良いじゃないか。延床面積は必ずしも家探しの絶対条件ではないよ。
…という思考の転換が始まったのです。
なにより、そこまで納得感を積み重ねて建てられた家なら、いくら狭かろうが、アヴェンタドールに匹敵する価値があると胸を張って言えそうな気がしてきたのです(笑)