2月、3月。まだまだ冷え込む日がある。
日差しを求めてカーテンを開ける。
しかし、窓から室内に落ちる光と影を見ると、太陽高度が高くなっており庇が効いてしまっていることに気付く。
あぁ、そういう季節だ。
冬の昼間は室内深くまで太陽光が差し込むが、夏に近づくにつれて、日中の室内は薄暗くなるのだ。
屋外がとても明るくて室内は薄暗い、そのハイコントラストな絵が、多くの日本人にとっての「夏の記憶」なのだ。
自分、家づくりを始めるまで、こんな情緒的なことは一度も考えなかったかもしれない。
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さて、先日の記事で、窓から日射取得をするよりも、太陽光発電とエアコンの組み合わせの方がはるかに効率がよいことを説明しました。
いわゆるエコハウスの作り手さん達は、窓から入ってくる日射を適切に制御することの重要性を説きますが、効率や性能をひたむきに追及しているのだったら、一条工務店のような仕様にすればいいじゃない。どうして日射制御のような面倒なことをしたがるのだろう?と疑問に思っていました。
そんな時、建築家の堀部安嗣さんが発信されている情報に触れました。
「自分にとってのパッシブデザイン」という言葉になぜだかぐっと引き付けられました。
堀部さんは、この世界にある物・事・概念を、自分の気持ちで消化して、自分の言葉で、しかも聞き手に届きやすいシンプルな形で表現することができる人なのかなと思いました。
哲学的なこと、観念的なことなど、何かの物事の本質について考え始めると、どうしても世の中を否定するというか、ある種で退廃的な考え方になることが多いと思います。
しかし堀部さんは過去に対して前向きというか、もともと人も地球も素晴らしかったのだと建築を通して知る、みたいな希望に満ちた思考なのかもしれません。
訓読みの丁寧な使い方にも惹かれます。
天井の木貼りを指して「木を施す」と表現すると、意匠、機能、材料、工作、意図など、様々な人の手や意図がその「施す」という動詞に込められているような、とても広がりのある印象を受けます。
奇遇にも妻が堀部さんのファンなので、書籍や特集雑誌が自宅に何冊もあったのですが、近年は住宅の温熱性能に真剣に目を向け始めたという事を知って、とても驚いていました。
パッシブデザインは住み手がアクティブに暮らさないといけないのが欠点かもしれないと考えていましたが、それは少々省エネ効果に目を向けすぎていたと思います。堀部さんの言うように省エネはあくまでオマケのようなものだと考えると、なんだか残りの人生が少し豊かな方向に向かう予感がします。
住み手がパッシブデザインについて理解することで、太陽の動きを知る。影を観察する。風の流れを読む。それらを暮らしに活かそうとする。
そして、建物がパッシブデザインに基づいて適切に設計されていることで、こうした住まい手の工夫が実際に効果を及ぼすことが体感できる。それは家族の記憶になり、家の記憶になる。
パッシブデザインは、家での暮らしに「自然の中で生きる人間」としての豊かさを提供するものかもしれません。堀部さんが言っているのはそういうことだろうか。
いきなり俗な言い方に落としてくると、要するに
「日差しを取り込んでドヤってるほうが生活楽しいでしょ」
という至ってシンプルな動機に対して、もっと真面目に向き合ってみるのもいいのかもしれませんね。